日蓮大聖人は、三大秘法という根源の仏法を以て、末法の全人類を現当二世(現世と来世)にわたってお救い下さる、唯一人の御本仏であられる。
末法とは、釈迦仏の滅後二千年以降の時代を指す。この末法について、釈迦仏は重大な二つの予言をされている。
その一つは「闘諍堅固・白法隠没」の経文である。すなわち末法は人々の心が荒んで大戦乱が打ち続き、このとき釈迦仏の仏法は人々を救う力を失ってしまうということ。
もう一つは、この末法には、三世十方の諸仏の根源たる御本仏が出現して、全人類を破滅よりお救い下さるということである。このことを法華経の神力品には
「日月の光明の能く諸の幽冥を除くがごとく、斯の人世間に行じて、能く衆生の闇を滅せん」と予言している。
まさに日蓮大聖人こそ、この予言証明に照らされて末法の日本国に出現された、諸仏の根源の仏様すなわち「久遠元初の自受用身」であられる。
日蓮大聖人の仏法は、人と、国を、根底からお救い下さる――。
個人においては、凡夫を仏にして下さるのである。すなわち、日蓮大聖人が大慈悲を以て留め置かれた「本門戒壇の大御本尊」を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉れば、いかなる人も一生のうちに必ず成仏が叶う。
また国においては、日本一同が「本門戒壇の大御本尊」を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉り、御遺命のままに国立戒壇を建立すれば、そのとき日本は仏国となり、もろもろの災難も消滅し、真の国家安泰を得る。これが立正安国である。
人生の目的を知らずに生きているのは、行き先不明のバスに乗っているのと同じである。だが人々はこの大事を知らず、ただ目先の欲望に引きずられて虚しく生き、虚しく一生を終えるのが実相である。これで確信ある人生が歩めるはずがない。
人生の目的は、実に「成仏」を得るにある。成仏とは、生死を乗り越えて永遠に崩れぬ、無上の幸福境界をいう。
日蓮大聖人の仏法を実践すれば、いかなる人も宿命が変わり、現世には幸いを招き、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得る。これが成仏の境界である。
「死後の未来のことなどわからぬ」という人もあろう。だが仏法は空理・空論ではない。すべて証拠を以て論ずる。その証拠とは臨終の相である。
臨終は一生の総決算であり、その臨終の相に、その人が未来に受けるべき果報(結果と報い)が現われる。だから臨終は人生の最大事なのである。
ゆえに日蓮大聖人は
「人の寿命は無常なり。…されば先づ臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(妙法尼御前御返事)と仰せられている。
では、地獄に堕ちる相、あるいは成仏の相とは、どのようなものか。
大聖人は
「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石の如し。
善人は設い七尺八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる、又軽き事鵞毛の如し、輭(やわらか)なる事兜羅綿の如し」(千日尼御前御返事)と。
この仰せのごとく、地獄に堕ちる者は、死してのち遺体が黒くなるうえ、重くなり、恐ろしい形相となる。
一方、成仏の相とは、臨終ののちに色が白くなり、軽く、柔らかく、かつ柔和な相となる。
さらに大聖人は神国王御書に
「人死して後、色の黒きは地獄に堕つとは、一代聖教に定むる所なり」とも仰せ下されている。
世間の人々はこの大事な現証を知らない。もし知ったら人生観が一変するに違いない。
臨終の相だけは、人の意志の及ぶところではない。この因果の法則を説き切るのは、日蓮大聖人の仏法以外にはない。
地位や財産や権力による幸福はすぐに崩れる。現当二世にわたり永遠に崩れぬ幸福は、成仏の境界だけである。
まさに日蓮大聖人こそ、我ら凡夫を仏にして下さる大慈大悲の御本仏であられる。
国家の興亡盛衰の根本原因は、正しい仏法を信ずるか、背くかによる。もし国中が邪法を信じて正法に背けば、国に天変地夭・内乱・他国侵逼等の災難が起こる。もし正しい仏法を立てれば国家は安泰になる。これは、宇宙的スケールの力用を以て仏法を守護する、諸天善神の働きによるのである。
日蓮大聖人ご出現当時の日本は、念仏・真言・禅・律等の諸宗がはびこっていた。これらの諸宗は、釈迦仏の一代五十年の説法の中で、前四十余年の所説である方便の経々に執着し、後八年に説かれた真実の経たる法華経に背いた邪宗である。
末法においては、法華経の本門寿量品の文底に秘沈された「南無妙法蓮華経」以外に、成仏の叶う大法はない。
このことを日本国でただ御一人知り給うた日蓮大聖人は、諸宗の誤りを破折されるとともに、母が赤子の口に乳を含めるごとき大慈悲を以て「南無妙法蓮華経と唱えよ」と一切大衆にお勧め下された。
これを見て邪法の僧らは憎悪を懐き、民衆を煽動して大聖人を憎ませた。かくて大聖人を罵る声は一国に満ちた。
その中、正嘉元年には前代未聞の巨大地震が鎌倉を襲い、以来、連々として異常気象・大飢饉・大疫病等が発生し、人民の過半が死を招くにいたった。
この惨状を眼前にされた大聖人は、これ日本国が他国侵逼(他国からの侵略)の大難を受ける前相であると判ぜられ、日本国を救うため、立正安国論を以て国主を諫暁し給うた。
この立正安国論には、他国侵逼と自界叛逆(内乱)が必ず起こることが、次のごとく厳然と予言されている。
「先難是れ明らかなり、後災何ぞ疑わん。若し残る所の難、悪法の科に依って並び起こり競い来らば、其の時何んが為んや」と。
「先難」とは、天変地夭など亡国の前兆たる災難。「後災」とは、亡国をもたらす他国侵逼・自界叛逆の二難である。先難がすでに現われている以上、後災の来ることは疑いないとして、もしこの二難が事実になったら「其の時何んが為んや」と厳しくお誡め下されている。
ついで次文には後災の二難の恐るべきことを
「帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方の賊来りて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや、豈騒がざらんや。国を失い家を滅せば、何れの所にか世を遁れん」
とお示し下されている。
この他国侵逼のご予言は、蒙古襲来の実に十四年以前のこと、未だ何の萠しもない時における御断言である。これを見るとき、大聖人の御予言は海外情勢などにより推測する世間のそれとは全く類を異にする。まさに仏法を守護する諸天に申し付け給う絶大威徳を以ての御断定であるから、違うことがないのである。
もし他国侵逼が事実になれば、人々は始めて改悔の心を起こし、死後の無間地獄の大苦を今生のうちに消滅させることができる。死後の無間地獄の大苦に比べたら、今生のいかなる大苦も物の数ではない。
日蓮大聖人は、この無間地獄の大苦を蒙古襲来の罰を以て改悔せしめ、今生のうちに消さしめ給うたのである。これほど徹底した大慈大悲はない。
ゆえに大聖人は佐渡御書に
「現世に云いおく言の違わざらんを以て、後生の疑いをなすべからず」
また四条抄には
「あへて憎みては申さず、大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生に消さしめんとなり」
と仰せ下されている。
まさに立正安国論の御予言的中こそ、日蓮大聖人の御本仏としての絶大威徳の証明であるとともに、一切衆生の後生の大苦をもお救い下さる大慈大悲であられること、深く拝し奉るべきである。
文永八年九月十二日の深夜、日蓮大聖人は竜の口の頸の座に坐し給うた。この大法難は、邪法の僧らの讒言を取り上げた国家権力者による絶体絶命の死刑であった。
だが、太刀取りが大刀を振り下さんとしたその刹那、思議を絶することが起きた。
突如として「月のごとく光りたる物」が出現したのである。
その光りがいかに強烈であったか。太刀取りは目がくらんでその場に倒れ伏し、警護の兵士たちも恐怖のあまり一町ばかり逃げ出し、馬上の武士たちも、あるいは馬から下りて畏まり、あるいは馬上でうずくまってしまった。
砂浜に坐し給うは、ただ大聖人御一人。
大聖人は大高声で叫ばれた。
「いかにとのばら、かかる大禍ある召人には遠のくぞ。近く打ちよれや、打ちよれや」と。
だが一人として近寄る者はない。
大聖人は重ねて叫ばれた。
「夜 あけば、いかにいかに。頸切るべくわ急ぎ切るべし、夜明けなば見苦しかりなん」と。
これ死刑の催促である。だが、声を発する者とてない。
響くは大聖人の御声のみ、目に映るは月の光に照らされて輝く大聖人の御尊容のみ。
まさしく国家権力が、ただ一人の大聖人の御頸を刎ねることができず、その絶大威徳の前にひれ伏してしまったのである。かかる思議を絶する荘厳・崇高・威厳に満ちた光景が、人類史上、地球上のどこにあったか。
この大現証こそ
日蓮大聖人が、立宗以来の不惜身命の御修行ここに成就して、名字凡夫の御身の当体が、そのまま久遠元初の自受用身と成って成道を遂げ給うた、その御尊容であられる。
大聖人は竜の口の大法難に引き続いて、佐渡へ流罪となった。そして雪中において開目抄を記し給い、その深意を
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
と仰せ下された。すなわち
日蓮大聖人を信じ奉るか、背くかによって、日本国の有無も、人類の存亡も決する――ということである。
大聖人の御存在はこれほど重く、かつ大であられる。これ大聖人が十方三世の諸仏の根源たる久遠元初の自受用身にして、末法下種の本仏であられるからである。
この御本仏に敵対すれば、国も亡び、人も亡ぶ。
この事実は御在世の日本を見ればよくわかる。権力者・平左衛門は大聖人の御頸を刎ね奉った。その大罰は直ちに大蒙古の侵略となって顕われた。
このとき日本は亡んで当然であった。
だが、御頸は刎ねて刎ねられず、日本の柱は倒して倒されず、よって日本も亡んで亡びなかったのである。もし御頸が刎ねられていたら、日本は完全に滅亡していたに違いない。
大聖人御入滅後すでに七百余年――。
いま日本は戦後最大の危機に直面している。それは、強力な核兵器を持ち、かつ残忍で侵略的な独裁国家の中国・ロシア・北朝鮮の三国に包囲されてしまったからである。遠からず、日本への侵略は必ず起きる。
このような事態に立ち至ったのも、国中が未だに大聖人を信ぜず背き続け、就中、正系門家が大聖人の唯一の御遺命たる「国立戒壇」を否定して偽戒壇・正本堂を建て、師敵対に陥ってしまったゆえである。
「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲れば影ななめなり」(富木殿御返事)と。
やがて中国をはじめとする三国の、残忍きわまる侵略は必ず始まる。
この亡国の大難を遁れる唯一の道は、一国が日蓮大聖人を信じ奉り、三大秘法を受持する以外にない。
ゆえに大聖人は弘安元年三月の四十九院申状に
「第三の秘法、今に残す所なり。是れ偏に末法闘諍の始め、他国来難の刻、一閻浮提の中の大合戦起こらんの時、国主此の法を用いて兵乱に勝つ可きの秘術なり」と。
今こそ全日本人は、大慈大悲・絶大威徳の日蓮大聖人に帰依信順し奉り、早く国立戒壇を建立して金剛不壊の仏国を築かねばならない。
残された時間は少ない――。