もし戒壇の大御本尊を捨て奉れば、その人は死してのち、必ず阿鼻獄に堕ちる。
ゆえに法華経の譬喩品には
「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至、其の人命終して阿鼻獄に入らん」とある。
この意は、いま末法においては、「もし戒壇の大御本尊を信ぜずに謗る者は、死してのち阿鼻獄に入る――ということです。
「阿鼻獄」とは「無間地獄」のことです。無間とは、耐えがたい苦痛が一瞬の間も無く襲うから無間地獄というのです。
経文には八大地獄のうち、七大地獄まではくわしく説かれているが、最後の無間地獄の大苦だけは具さに説かれていない。
大聖人様はそのわけを顕謗法抄に
「若し仏、此の地獄の苦を具に説かせ給わば、人聴いて血を吐いて死すべき故に、くわしく仏説き給わず」
と仰せ下されている。
私は学会員を不憫に思う。
せっかく日蓮大聖人の仏法に縁しながら、悪師にたぶらかされて戒壇の大御本尊を捨て奉ったゆえに、いま「入阿鼻獄」の道を進んでいるのです。無間地獄に堕ちてしまったら、取り返しがつかないではないか。
無間地獄の寿命は「一中劫」すなわち三億二千万年とされている。このような長い年月この地獄にあって出られぬとは、その大苦はまさに想像を絶する。
しかしこの「一中劫」は、五逆罪を犯して無間地獄に堕ちた場合の寿命です。五逆罪とは、父を殺し、母を殺し、仏弟子を殺し、仏弟子の集団を破壊し、仏の身より血を出だすの逆罪です。この五逆罪を犯した者は一中劫の間、無間地獄に堕ちる。
だが、もし戒壇の大御本尊に背いて無間地獄に堕ちた者は、一中劫では済まない。経文には「展転して無数劫に至らん」とある。だから私は「取り返しがつかない」というのです。
私は早く八百万学会員を救いたい。一日も早く戒壇の大御本尊様に繋がる遥拝勤行に励み、ともに国立戒壇建立に戦う同志となってほしいと、強く念願しております。